抽象的なお題で始まりました。

久しぶりのブログ投稿です。

現在、クリニックは臨時休業中ですので、考える時間はたっぷりとあります。

 

新型コロナウイルスが世の中に現れて、そろそろ3年近くがたちます。

アルファ株から始まり、生命への脅威をもたらしたデルタ株を経由し、いまや国民病とも言ってもよいほどメジャーになったオミクロン株まで、私たちは怒涛の渦の中で過ごしてきました。

新型コロナへの対応は、正解が設定されていないクイズへの答えを解くようなものだと思います。

「それが、完全な正解です」と言い切ってくれる人がいません。

 

その人の置かれた立場で、答えは違ってきます。

 

コロナに感染し非常につらい思いをした人は、「コロナウイルスは怖い。普通の風邪と同じだなんて、とんでもない」と強く思います。

コロナに感染し、3日ぐらいで元気になった人は、「コロナウイルスなんて、ただの風邪やん。心配しすぎ」と自然に思います。

どちらも正しい反応です。

交通事故で家族を亡くしたり、後遺症を残した人は「車は決して安全な乗り物ではない!」と心の底から思います。

一方、ほとんどの人は、交通法規は守りながら気を付けてはいても、「車は危険な乗り物」と常に思いながら運転することはありません。

 

物事はすべて、見る角度によって違った景色になります。

そして、人間は自分の見える景色以外はなかなか見ようとしません。

 

白か黒か、善か悪か、勝ちか負けか。

 

中途半端を許さず、事象をすべて「良いか、悪いか」の二つに分けたほうが、メンタル的にはスッキリするのが、人間の心理です。

 

マスク論議もそうでしょう。

 

「コロナ感染なんて、マスクしても防ぐの無理。だからマスクなんてするな。」

「いやいや、コロナ感染で重症化する人もいるのだから、マスクしないなんてとんでもない。」

 

この二つの意見には、交わるところが一切ないので、議論は不毛に終わります。

 

世界から見て、日本や韓国は「マスクを含め、感染防御をしっかりしているような国」との認識があります。

 

我々日本人は、そもそもマスク好きな国民です。

そして、「デルタ株の蔓延を防げたという成功体験」とともに、マスク神話がしっかりと心の中に根付いています。

さらにマスク着用には「私、感染対策しっかりしてますよ」感を周囲に訴える免罪符的な意味もあります。

マスクをしていると、精神的に落ち着きます。

そこには統計学も科学的データも関係ありません。

きわめてムラ社会的で日本人的な「なんとなく、周囲がそうだから、私もそうしてないと安心できない。」とういう空気がそうさせています。

 

マスクの感染リスクに関しては、客観的なデータがあります。

完全にマスクをしない状態を危険度100とすると、一般的なサージカルマスクは30にまで下げ、N95 マスクは0.1まで下げます。

 

ポイントは、「一般的なサージカルマスクでは、感染リスクが3分の1程度にしか下がらない」という事実です。

「普通にマスクしてれば、感染者と近くで話しても感染しない」ではなく、「普通のマスクでは、感染者と近くで話して、エアロゾル吸い込めば感染は成立してしまう」というのが真実です。

 

さて、本当に今、私たちは、正しく効率的にポイントを押さえて、コロナ感染から身を守れているのでしょうか?

 

我々日本人のほとんどが、感染確率の低い路上歩行中にも、マスクをキッチリとします。

その割には、会食などでは、遠慮なく、数時間もマスクなしでの会話をします。

 

コロナウイルスの巣窟である、保育所・幼稚園等ではマスク着用は積極的に推奨されていません。

子供たちが感染し、家庭に持ち込めば、当たり前のように家庭内感染が成立します。

大人がどんなに家庭外でコロナ対策をしていても、家庭内でも同様の対策を取らない限り、感染します。

 

職場においては、同じフロアの同僚が発症すれば、感染力の強いオミクロン株はマスクの隙間から結構簡単に体内に侵入してきます。

すべての人がN95マスクをすれば、かなり感染は防げますが、装着中の息苦しさを考えると全員がN95マスクを装着することは非現実的です。

 

 

結論として、「通常の生活をする限り、マスク、手洗い、うがいなどの感染防御効果は限定的。結局、行動制限してないから感染は拡大する」ということになります。

個人や社会が、過剰なまでに感染防御に気を使っているようにみえても、それは「見た目のやってます感」だけで、効力は高いとは言えず、むしろ我々の日常は「感染ルートの隙間だらけ」だということです。

そう考えると、現在の日本における感染爆発も当たり前ということになります。

 

私自身は、マスクへの過剰な期待はすでになくなっています。

路上歩行時には、まず装着することはありません。

この状態で、どうやっても人からウイルスをもらうことはないでしょうし、うつすこともないと思うからです。

ただし前述のごとく、マスクの効果が全くゼロというわけではないので、礼儀的なことも踏まえて、必要なとき(閉鎖空間、ヒトとの距離が近いなど)はキッチリすべきという姿勢です。

 

新型コロナウイルス感染は、統計学的なデータをみれば、死亡率0.07%の疾患です。

しかも症状の重くなる方は、患者さんの背景が限られてきます。

重症化しなくとも、後遺症で苦しむ方もいらっしゃるので、一概には言えませんが、少なくとも多くの人にとって「生命を脅かす」疾患ではなくなっています。

むしろ、「普通に暮らしていると、普通にかかってしまう疾患」になっています。

ですから、コロナウイルスから逃げ切るには、厳しめの行動制限を自分に課さねばなりません。

しかし、日本国民の大半は「もう、たくさんだ。普通に生活を送らせてくれ」というのが本音でしょう。

それが国民の総意となりつつあり、今の感染蔓延状況を許容しているのではないかと思います。

 

われわれは、できるだけリスクのない人生を望みますが、生きている限りいろいろなリスクの中で生きていくしかありません。

ノーリスクで生きていくことなど、不可能です。

 

普通の生活をする限り、コロナウイルスは我々の隙を見つけて、容赦なく忍び込んできます。

そろそろ、本当の意味での「ウィズ コロナ」になるしかないのでは?

というのがコロナ感染を経験した私の本音です。

 

おそらく、今後もそれぞれがそれぞれの立場でコロナウイルス感染症に対する意識を持つことでしょう。

ただし、一般市民の大半は、マスコミやSNSの声高な意見に翻弄され、ときに正しい対応を見失うことがあるのは、このコロナ禍ならずとも歴史の中で証明されています。

私は、医師ですから疫学や統計学などの客観的データに基づいて、これからも自分自身の考えをまとめていこうと思っています。

 

医療法人癒美会